モハメド・サラーのヒストリー 〜ロンドンの迷子からエジプトの英雄に〜

ヒストリー
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前回好評だった選手のヒストリーシリーズ。

第2回目は、リバプールの絶対的なエースであり「エジプトの英雄」のモハメド・サラーについて。

サラーの簡単なプロフィールはこんな感じです。

  • 国籍:エジプト
  • 生年月日:1992年6月15日
  • 出身地:バスユーン
  • 身長:175cm
  • 体重:71kg
  • ポジション:右WG、CF
  • 背番号:11
  • 利き足:左足

■アラブ・コントラクターズSC時代

エジプトのアラブ・コントラクターズSCでキャリアをスタートさせたのですが、2012年にある事件をきっかけにエジプトから離れることに。

エジプトリーグで2012年に起こったスタジアムでの暴動によって、死者74名、負傷者1,000名以上という近年では考えられない事件が起こりました。

この事件によって、エジプトリーグは無期限の延期(3年後に再開)とされたため、サラーはこのタイミングでバーゼルに移籍することに。

■バーゼル時代

バーゼルに移籍してからはアンダーカテゴリーで過ごしていましたが、ある親善試合で好プレーを見せたサラーはトップチームとの契約に至りました。

実はこの時、サラー(僕も)と同い年のスイスの新星ジェルダン・シャキリがバイエルンに移籍したタイミングでした。

すでにバーゼルのエースだったシャキリの後釜としてサラーとの契約を結んだのですが、数年後にリバプールで再会したことはなにか縁があったんでしょう。

バーゼルではCLのチェルシー戦で大活躍を果たすと、その因縁かチェルシーが獲得に動きます。(この時点でリバプールへの移籍も噂されていたのですが、チェルシーの横やりで実現しませんでした、、)

■チェルシー時代

2014年1月にチェルシーに5年半契約で加入したのですが、当時のチェルシーにはアザールウィリアンといったスター選手が在籍していたため、なかなか出場機会を得られずに全19試合の出場、2得点に終わりました。

当時の監督だったモウリーニョがのちのインタビューで

「新しい世界で、ロンドンという場所で、彼は迷子になってしまった。我々は彼をもっと良い選手にしたかったが、本人は待つことができず、試合に出ることを望んだんだ」

と語っていたとおり、サラー自身もプレミアのレベルにはなかったため、イタリアへの移籍は仕方なかったと思います。

■セリエA時代

・フィオレンティーナ

2015年1月にチェルシーに新加入したクアドラードと入れ替える形でフィオレンティーナにレンタル移籍し、加入後の7試合で6得点1アシストと大活躍しました。

その後、契約関係でフィオレンティーナと揉めるも2015年8月6日に買取オプション付きでASローマにレンタル移籍することに。

・ローマ

加入後からレギュラーとして活躍し、15-16シーズンにはリーグ戦で34試合14得点、16-17シーズンには31試合15得点とその得点感覚が開花します。

当時、インテルにいた長友とのマッチアップも話題になっていましたが、その後のリバプールでの活躍には

「サラー覚醒しすぎやろ。バチバチ勝負していたのが懐かしい。バケモンになっとるやんけ。。」

と驚いていた様子でしたね。。笑

■リバプール時代

※ここからは僕自身も鮮明に覚えているので、当時の感想を交えながら。

2017年6月22日、リヴァプールと移籍金4200万ユーロで契約しました。

当時のリバプールは、前々年にフィルミーノ、前年にマネを獲得していたことから、今のフロントスリーの土台が出来上がっていました。

開幕戦であるワトフォード戦でゴールをあげると、3節のアーセナル戦ではカウンターから独走してゴール。

その後も驚異的なパフォーマンスを発揮し、最終的にリーグ新記録となる32得点をあげてPFA年間最優秀選手賞を受賞しました。その勢いでCL決勝に臨みますが、セルヒオ・ラモスのラフプレーで負傷交代というサラーにとっては悔し結果に。

ただ、18-19には再びCL決勝の舞台に立ち、同リーグのトッテナム戦でPKにより得点しリベンジを果たすことに。

リーグでも22得点で2年連続得点王を獲得するなど、完全にリバプールのエースとして君臨しました。

翌年の19-20には、チーム念願だったプレミア制覇にも大きく貢献し、得点王こそ逃しましたが19得点とその存在感は衰えることはありませんでした。

ちなみに、母国のエジプトでもその人気は異常で、2018年3月に行われたエジプト大統領選挙では現職のシシ大統領の92%に次いでサラーにも約5%の100万票が投じられました。※対立候補であるムサ・モスタファ・ムサへの票は約3%だったとのことでした。。笑

サッカー選手が国の大統領なんて日本ではありえないことですが、それほどサラーが国民から愛されているというわかりやすいエピソードですね。

ということで、サラーの歴史を紐解いてきましたが、改めて今の活躍にはチェルシー時代の悔しい経験が大きかったのかもしれませんね。

一時期はチェルシーの戦力外(ロンドンの迷子)だった男が、今ではリバプール、エジプトのエースとして伝説をつくっているというサクセスストーリー。

以前も書きましたが、リバプールで歴代最多得点の記録を更新してレジェンドになってほしいと願っています!

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