ブログの中でシリーズ化したいと思っていたのが、リバプールに所属している選手のこれまでのヒストリーについて。
記念すべき第1回は、リバプールが誇る世界一の左SBであるアンドリュー・ロバートソン。
ロボを第1回に選んだ理由としては、決して順風満帆な選手生活ではない苦労人だから。
はい、ということでロボの簡単なプロフィールについてご紹介します。
- 国籍:スコットランド
- 生年月日:1994年3月11日
- 出身地:グラスコー
- 身長:178cm
- 体重:64kg
- ポジション:左SB、左MF
- 背番号:26
- 利き足:左足
■ユース時代
地元グラスゴーのセルティックのユースチームでキャリアをスタートさせたのですが、15歳の時に「身体が小さい」という理由により移籍を余儀なくさせられます。
セルティックといえば、中村俊輔や古橋など日本人には馴染みがあるチームですが、スコットランドの超名門クラブ。プロになるのも限られた選手だけなのでしょう。
しかも、その移籍先が当時スコットランドの4部に所属していたクイーンズ・パーク。日本で言うと川崎のユースにいたのに、急にプロでもないJFLのチームに移籍したことになるので、当時は相当ショックだったと思います。
ロボ自身もこのように語っています。
セルティックから(4部の)クイーンズパークに行くなんて誰だって最悪だと思うだろう。15歳という若さで夢を失ったんだから。
■クイーンズ・パーク時代
2012-13シーズンにクイーンズ・パークでトップチームに昇格します。2012年7月28日にカップ戦のベリック・レンジャーズ戦でデビューを果たすことに。ただ、当時はサッカーだけではご飯を食べられなかったようで、スーパーでアルバイトをしながら生活をしていました。
ただ、ロボはそんな環境でも腐らずにアルバイトをしながら年間40試合も出場。その後、スコットランドのトップリーグに所属するダンディー・ユナイテッドに引き抜かれることに。
■ダンディー・ユナイテッド時代
4部リーグからトップリーグへと飛び級で昇格したこととなったが、ジャッキー・マクナマラ監督の元で主力として活躍します。2014年4月にはスコティッシュ・プレミアシップの年間最優秀若手選手と年間ベストイレブンに選出されました。
1年後には世界最高峰の舞台であるプレミアリーグのハル・シティへの移籍を実現。
■ハル・シティ時代
移籍金285万ポンドの3年契約でハル・シティへ移籍。QPRとの開幕戦でプレミアリーグデビューを果たすなど加入してすぐにチームにフィットし、クラブの8月の月間最優秀選手に選出されました。
ハル・シティは残念ながら降格していましますが、そのパフォーマンスからリバプールのスカウトの目にとまることに。
■リバプール時代
ここからは僕自身も鮮明に覚えているので、当時の感想を交えながら。
当時のリバプールの左SBは本職ではないミルナーが務めており、他にも安定感に欠けるモレノしかいなかったため、補強は急務な状態でした。
噂では当時レスターに所属していたチルウェルなどもあがりましたが、800万ポンドという金額でロボを獲得を実現することに。
移籍当初はなかなか出場機会を得ることができなかったロボでしだが、モレノの怪我により出番をもらうと守備の安定感と圧倒的な運動量、精度の高いクロスによって瞬く間にレギュラーに定着。
正直、移籍金から考えてここまでいい選手だと思っていなかったので、本当に当たり補強でしたね。(スカウト様様です、、)
ロボの1年目で特に覚えているのが、1月14日のアンフィールドでのシティ戦での試合終盤でのプレス。
左サイドから相手DFにチェイシングを続け、キーパー、いつの間にか右サイドまで追いかけ続けるというキ○ガイプレスによって、世界中のKOPから愛される存在になりました。(リアルタイムで見ていても思わず声が出ちゃいました。。笑)
18-19シーズンにはアシスト11、19-20シーズンにはアシスト12と右SBのTAAとともにリバプールの大きな武器になった上で、チームとしてもCL優勝、念願だったプレミア優勝にも大きく貢献しました。
今では「左SBで世界最高の選手は?」と聞かれるとロボの名前を出す人も多く、名実ともにワールドクラスの選手へとなりました。
この前までアルバイトをしていたスコットランドの青年が数年後にCL制覇、プレミア優勝を果たして世界最高の左SBになる。そんな漫画のようなサクセスストーリーを体現した男、アンドリュー・ロバートソン。
これからも親友のTAAとともに、長くリバプールで活躍する彼の活躍を楽しみにしたいと思います。
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